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津地方裁判所 昭和35年(ワ)75号 判決 1961年12月20日

原告

前山みち

外五名

被告

田中博章

主文

被告は、原告前山みちに対して金六八五、二〇〇円、原告松景経子、同前山博昭、同前山久子、同前山正治および同前山芳子に対して各金二八四、一〇〇円ならびに右各金員に対する昭和三五年一月一二日から支払いずみにいたるまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。

原告等のその余の請求は、これを棄却する。

訴訟費用は、これを五分し、その四を被告の負担とし、その一を原告等の負担とする。

この判決は、原告前山みちにおいて金二〇〇、〇〇〇円、その余の原告等において各金一〇〇、〇〇〇円の担保を供するときは、それぞれ原告等勝訴の部分に限り、仮りに執行することができる。

事実

第一  当事者双方の申立

一、原告等訴訟代理人は、「被告は、原告前山みちに対して金七八五、二〇〇円、原告松景経子、同前山博昭、同前山久子に対して各金三三四、一〇〇円、原告前山正治、同前山芳子に対して各金三八四、一〇〇円ならびに右各金員に対する昭和三五年一月一二日から支払いずみにいたるまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。訴訟費用は、被告の負担とする。」旨の判決ならびに担保を条件とする仮執行の宣言を求めた。

二、被告訴訟代理人は、「原告等の請求を棄却する。訴訟費用は、原告等の負担とする。」旨の判決を求めた。

第二  当事者双方の主張

一、原告等の請求原因

(一)  原告前山みちは、訴外亡前山仁三郎の妻であり、原告松景経子、同前山博昭、同前山久子、同前山正治および同前山芳子は、それぞれ右仁三郎の次女、長男、三女、次男および四女である。

(二)  被告は、小型四輪自動車運転免許を有し、自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和三四年一二月三一日午後九時過頃、軽二輪自動車を運転し、三重県一志郡一志町大字田尻五五六の一番地先県道を東進中、反対方向から自転車に乗つて該県道左端を進行してきた前記仁三郎に右軽二輪自動車を衝突させた。そのため前記仁三郎は、該道路南側の田甫にはねとばされて、脳挫傷の傷害を負い、昭和三五年一月一一日午前六時同町大字田尻高岡病院において、心臓衰弱により死亡するにいたつた。

(三)  右事故は、被告の重大な過失に起因するものである。

すなわち、被告は、前記軽二輪自動車を運転する直前まで飲酒していて、清酒約四合ないし五合を飲み、運転を開始する頃には相当酩酊し、注意力も散漫になつていた。しかも、被告は軽二輪自動車の運転経験が未熟であり、かつ当夜は小雨が降つていた。なつて、このような場合、被告としては、酩酊のため正常な運転ができないおそれがあるから、当然軽二輪自動車の運転を見合せ、もつて事故の発生を未然に防止すべき義務がある。にもかかわらず、被告は、酒の勢いにかられて右の注意義務を怠たり、敢て運転しても事故がないものと軽信し、前記のように本件軽二輪自動車を運転した。そして、被告は、右酩酊運転の結果、前記県道附近が左へカーブしており、かつ反対方向から前記仁三郎が自転車に乗つて該県道左端を進行してくることに全く気付かず、漫然時速約五〇粁ないし六〇粁の速度で本件軽二輪自動車を直進させ、よつて本件事故を惹起するにいたつたのである。

従つて、被告は、右不法行為により、前記仁三郎および原告等が蒙つた損害を賠償すべき義務がある。

(四)  そこで、被告が原告等に対して賠償すべき損害額等は、次のとおりである。

1 前記仁三郎の蒙つた損害(損害賠償請求権)

前記仁三郎は、三重県師範学校を卒業後三三年間にわたり教職にあつたが、数年前退職して以来専ら農業を営んでいたもので、右教職による恩給金として年間金一八五、二〇〇円および右農業所得として年間金八四、〇〇〇円、合計金二六九、二〇〇円の年収入があり、右収入から、年間町県民税四、六七〇円、固定資産税三、五一〇円および生活費四〇、〇〇〇円を支出していた。従つて、同人の年間の純益は金二二一、〇〇〇円であつた。

ところで、同人は死亡当時満五九年であつて、極めて健康体であり、本件事故なかりせば、以後少くとも一〇年間は生存し、農業を営むことができたものである。従つて、同人は、本件事故により、少くとも金二二一〇、〇〇〇円の得べかりし利益を失つたことになり、これをホフマン式計算法によつて年五分の中間利息を控除すると、一時に請求しうべき損害額は、金一、七五五、八〇〇円(一〇〇円未満切捨)となる。

原告等は、右仁三郎の死亡により、同人の被告に対する損害賠償請求権を相続した。そして、これを原告等の相続分に応じて按分すると、原告前山みちは金五八五、二〇〇円,その余の原告等は各金二三四、一〇〇円の損害賠償請求権を承継したことになる。従つて、

被告は、原告等に対し、右各金員を支払う義務がある。

2 原告等の蒙つた損害(慰藉料請求権)

原告等は、その夫または父である前記仁三郎の不慮の死亡により、精神的に甚大な苦痛を蒙つた。すなわち、原告前山みちは、夫を失い遺児をかかえて寡婦の生活を送らねばならず、その余の原告等においても、父仁三郎の急死にあい、それぞれ精神上多大の打撃を蒙つている。ことに原告前山正治および同前山芳子は、父仁三郎の死亡により、上級学校への進学も断念せざるをえなくなり、その精神上の苦痛は察するに余りがある。そこで、右原告等の精神上の損害を慰藉するため、被告は、原告前山みちに対して金二〇〇、〇〇〇円同松景経子、同前山博昭、同前山久子に対して各金一〇〇、〇〇〇円、同前山正治、同前山芳子に対して各金一五〇、〇〇〇円を支払う義務がある。

(五)  よつて、被告に対し、原告前山みちは金七八五、二〇〇円、同松景経子、同前山博昭、同前山久子は各金三三四、一〇〇円、原告前山正治、同前山芳子は各金三八四、一〇〇円ならびに右各金員に対する前記仁三郎の死亡の翌日たる昭和三五年一月一二日から支払いずみにいたるまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める次第である。

二、被告の答弁ならびに抗弁

(一)  原告主張の請求原因事実(一)は認める。同(二)の事実中、被告が小型四輪自動車の運転免許を有するものであることおよび訴外前山仁三郎が原告主張の日時場所で原告主張の如き傷を負い、そのため原告主張のとおり死亡したことは認めるが、その余の事実は否認する。同(三)の事実は否認する。

(二)  そもそも、訴外仁三郎の負傷は、被告の運転する軽二輪自動車が衝突したことによるものではない。仮りに、原告主張の如く、被告の運転する軽二輪自動車が前記仁三郎に衝突し、そのため同人が負傷したものとしても、右事故は、被告の過失によるものではなく、右仁三郎の過失に起因するものである。すなわち、当時右仁三郎は、折柄雨天暗夜であるにもかかわらず、その乗つていた自転車の前照燈を点火せず、もしくは点火したとしてもこれを洋傘で掩う等、前方からこれを識別しえない状態で進行していた。従つて被告においては、前方を注視しても、右仁三郎が進行してくるのを認めえなかつたのである。また一方、被告は本件軽二輪自動車の前照燈を点火して進行していたのであるから、当時の状況からして、前記仁三郎が前方を注視して進行していれば、被告の運転する本件軽二輪自動車を認め、衝突を避けるため待避する等臨機の措置を講じ、本件事故の発生を未然に防止しえたはずである。これらの点において、本件事故については、前記仁三郎の過失がその原因をなしており、被告には過失の責任がない。

(三)  仮りに、被告にも過失の責任が認められるものとすれば、本件事故は、被告の過失だけではなく、前記仁三郎の過失が競合して発生したものであるから、過失相殺により損害額の範囲につき相当の減縮がなさるべきである。

(四)  原告等主張の請求原因、(四)の損害額については、これを否認する。

1 原告等主張の訴外仁三郎の農業所得は、同人単独の農業所得ではなく、原告等を含む前山家全員の農業所得であつて、右仁三郎は単にその代表者であるにすぎない。現に、右仁三郎死亡後においても、前山みちの代表する前山家の昭和三五年度農業所得は約八〇、〇〇〇円であつて、従前のそれと何ら変化していない。従つて、右仁三郎が原告等主張の農業所得すべきいわれはなく、この点に関する原告等の主張は失当である。

2 また、原告等は、右仁三郎の生存推定年令が少くとも以後一〇年の旨を主張するが、日本人の平均年令は六〇年ないし六二年であつて、右仁三郎の余命は二年ないし三年と推定さるべきものである。

3 なお、仮りに、訴外仁三郎が原告主張の恩給を受けえなくなつたとしても、同人の死亡により同人の妻である原告前山みちにおいて、年額九二、六〇〇円の遺族扶助料を受けることになつたのであるから、損益相殺により、右遺族扶助料相当額を損害額から控除すべきものである。

(五)  右の次第であるから、原告等の請求は、いずれも失当たるを免れない。

三、被告の主張に対する原告等の答弁

(一)  本件事故につき、訴外仁三郎に過失があつた旨の被告主張事実は、否認する。右仁三郎は、当時乗つていた自転車の前照燈を点火して進行しており、右前照燈を洋傘で掩う等して前方からこれを識別しえない状態にしたことはない。かつ、仁三郎は、当時、交通法規を遵守し、本件県道左端を進行しており、当時の状況からして被告の運転する本件二輪自動車を認めても、これを回避すべき義務はなかつたし、また回避しようとしてもできなかつたものである。

(二)  また、前記仁三郎の農業所得に関する被告の主張について、同人の農業所得は原告等主張のとおりであり、同人死後の原告前山みちの農業所得とは何の関係もない。

(三)  なお、原告等の慰藉料を除く損害賠償の請求は、訴外仁三郎の被告に対する損害賠償請求権を原告等において相続したことにより、これに基いて請求するものである。従つて、被告主張の如く、原告前山みちが遺族扶助料を受けることになつても、右損害賠償請求権に何らの消長をきたすわけはない。

従つて、これらの点に関する被告の主張は理由がない。

第三  立証関係(省略)

理由

一  原告前山みちが訴外亡前山仁三郎の妻であり、原告松景経子、同岡山博昭、同前山久子、同前山正治および同前山芳子がそれぞれ右仁三郎の次女、長男、三女、次男および四女であること、被告が小型四輪自動車運転免許を有するものであることおよび前記仁三郎が昭和三四年一二月三一日午後九時過頃、三重県一志郡一志町大字田尻五五六の一番地先県道附近において脳挫傷を負い、そのため昭和三五年一月一一日午前六時同町高岡病院において、心臓衰弱により死亡したことは、当事者間に争いがない。

二  そこで、まず、前記仁三郎の負傷の原因ならびに被告の過失の存否について検討する。

(一)  成立に争いのない甲第四号証(捜査報告書)、同第五号証(実況見分調書、昭和三五年一月一二日付)、同第六号証(実況見分調書、昭和三五年一月二七日付)、同第九号証(証人辻順之助の尋問調書)、同第一〇号証(証人馬場輝信の尋問調書)、同第一一号証(証人岡野富郎の尋問調書)、同第一二号証(証人徳井厚志の尋問調書)、同第一三号証(証人松浦キヌヨの尋問調書)、同第一四号証(証人中道よしの尋問調書)、同第一五号証(証人西出高一の尋問調書)、同第一六号証(証人前山ヒサコの尋問調書)、同第一七号証(証人河合洋の尋問調書)、証人岡野富郎ならびに被告本人の尋問の結果(いずれも後記措信しない部分を除く)および本件口頭弁論の全趣旨を綜合すると、次のような事実が認められる。

すなわち、被告は、昭和三四年一二月三一日午後九時過頃軽二輪自動車を運転し、前記三重県一志郡一志町大字田尻五五六の一番地先県道を東進中、反対方向から自転車に乗つて該県道左端を進行してきた前記仁三郎に右軽二輪自動車を衝突させ、そのため右仁三郎は、該県道南側の田甫にはねとばされた結果、前記の如き傷を負い、よつて死亡するにいたつた。

ところで、これよりさき被告は、前記軽二輪自動車を運転する直前まで、友人等と共に飲酒し、都合約四合ないし五合の清酒を飲んだ結果、相当酩酊して注意力も散漫になつていた。そして、被告は、酒の勢いにかられて友人等が制止するのもきかず、本件二輪自動車を借り、後部に友人の訴外岡野富郎を乗車させてこれを運転し、前記県道を東進する際、酩酊のため、同所が左へカーブしており、かつ反対方向から前記仁三郎が自転車に乗つて該県道左端を進行してくることに全く気付かず、漫然時速五〇粁ないし六〇粁の速度で本件軽二輪自動車を直進させ、その結果右軽二輪自動車を前記仁三郎に激突させ、同人を該県道南側の田甫にはねとばして前記の如き負傷をさせるにいたつたのである。なお、当夜は小雨が降つていた。かような事実が認められ、証人岡野富郎ならびに被告本人の尋問の結果中右認定にていしよくする部分は、前掲各証拠と比照して措信できず、他に右認定を左右しうべき証拠はない。

してみれば、被告としては、前記飲酒のため酩酊し正常な運転をすることができないおそれがあつたのであるから、当然軽二輪自動車の運転を見合せ、もつて事故の発生を未然に防止すべき義務があつたことは明らかである。しかるに、被告は、右の注意義務を怠たり、漫然事故なしと軽信して本件軽二輪自動車を運転した結果、前記のように本件事故を惹起するにいたつたもので、本件事故は、被告の重大な過失に起因するものといわねばならない。

(二)  右の点に関し、被告は本件事故の原因として、前記仁三郎の過失の存在を主張するが、証人岡野富郎ならびに被告本人の尋問の結果中被告の主張にそう部分は、前掲各証拠と比照してにわかに信用し難く、他に被告主張の如く右仁三郎の過失を肯認するに足る証拠はない。かえつて、前掲甲第一六号証、同第四号証によれば、当時右仁三郎の乗つていた自転車には自家発電式の前照灯がついており、洋傘は右自転車のハンドルにしばりつけられていたことが認められるので、従つて、他に特段の事情がない限り、右仁三郎の自転車の前照灯は点火されており、前方からこれを認めうる状態にあつたものと推認される。また、右仁三郎が当時該県道左端を進行していたことは前認定のとおりであり、被告において該県道が左へカーブしているにもかかわらずそのまま前記速度で直進したため衝突するにいたつたもので、それは瞬時に発生した事故であるから、かかる状況のもとで、右仁三郎において本件軽二輪自動車を回避する等の措置を講ずべき義務はなく、また当時これを回避しようとしても不可能であつたといわねばならない。

従つて、この点に関する被告の主張は採用できない。

三  してみれば、被告は、右不法行為により前記仁三郎および原告等の蒙つた損害につき、これを賠償する義務があることは明らかである。以下に原告等主張の損害等について判断する。

(一)  前記仁三郎の蒙つた損害について

1  原告前山みちの尋問の結果および成立に争いのない甲第二号証(所得証明書)によれば、右仁三郎は、大正一〇年頃から昭和二八年頃まで小学校職員をしていたが、同年退職後は、田約四反二畝および畑約二反を耕作して専ら農業を営み、死亡当時、右教職による恩給年額一八五、二〇〇円ならびに農業所得年間金八四、〇〇〇円、合計金二六九、二〇〇円の収入があり、一方同人の支出としては、町県民税四、六七〇、固定資産税三、五一〇円および生活費年間四〇、〇〇〇円合計金四八、一八〇円であつて、同人の年間の純益は、金二二一、〇〇〇円(一〇〇円未満切捨)であることが認められ、適切な反証はない。

もつとも、この点に関し、被告は、右原告等主張の前記仁三郎の農業所得は、同人単独の所得ではなく、原告等を含む前山家全体の所得である旨を主張し、なるほど成立に争いのない乙第一号証の一(所得証明書)によると、右仁三郎死後の昭和三五年度における原告前山みち名義の農業所得が金七三、七三〇円であることが認められるのであるが、しかし、原告前山みちの尋問の結果およびこれにより真正に成立したものと認められる甲第二〇号証ないし同第二五号証(第二四号証は一、二。いずれも領収書)によれば、前記仁三郎は生前単独で前記田畑の耕作に従事しており、原告等主張の農業所得は右仁三郎の所得であつて、昭和三五年度における農業所得は、原告前山みちが人雇いして農業に従事してえた所得であることがうかがわれるので結局前認定をくつがえして被告主張事実を認めることはできない。

2  ところで、前記仁三郎が死亡当時満五九年であつたことは、本件口頭弁論の全趣旨によつて明らかであり、右年令の日本人の平均余命が一五年であることは公知の事実であつて(厚生省統計調査部第九回生命表修正表参照)、証人松永竜一および原告前山みち本人の尋問の結果によれば、右仁三郎は当時特段の疾病もなく健康体であつたことが認められるので、原告等主張の如く右仁三郎は、本件事故なかりせば、以後少くとも一〇年間生存し、農業に従事しえたものと推定される。被告は、右仁三郎の余命は、二、三年にすぎない旨を主張するが、前認定をくつがえして、被告主張の如く認定しうべき証拠はない。

とすれば、前記仁三郎において、本件事故なかりせば得べかりし利益は計二、二一〇、〇〇〇円となり、右仁三郎は被告の本件不法行為により右相当額の得べかりし利益を失つたことになる。そして右損害の賠償につき、これを一時に請求しうべき額を、ホフマン式計算によつて算出すると、金一、七五五、八〇〇円(一〇〇円未満切捨)となる。従つて、右仁三郎は、被告に対し、右金額の損害賠償請求権を有していたものといわねばならない。

3  しかして、原告前山みちが前記仁三郎の妻であり、その余の原告等がいずれも右仁三郎の子であることは当事者間に争いのないところであるから、原告等は、昭和三五年一月一一日右仁三郎の死亡により前記損害賠償請求権を相続したものというべく、これを原告等の相続分に応じて按分すれば、原告前山みちにおいて金五八五、二〇〇円、その余の原告等において各金二三四、一〇〇円の損害賠償請求権を承継したことになる。

なお、この点に関し、被告は前記仁三郎が死亡によつて前記恩給を受けられなくなつても、同人の死亡により同人の妻である原告前山みちにおいて、年額九二、六〇〇円の遺族扶助料を受けることになつたのであるから、これを損害額から控除すべきである旨を主張する。そして、前記仁三郎の死亡により、原告前山みちが被告主張の遺族扶助料を受けることになつた事実は原告において明らかに争わないところである。しかし、右遺族扶助料は被告の不法行為を原因として前記仁三郎がえた利得にはあたらないし、また、それは直接被告の本件不法行為を原因として前記仁三郎がえた利得にはあたらないし、また、それは直接被告の本件不法行為を原因とするものではなくして、遺族扶助の趣旨から法律の規定により妻たる原告前山みちに給付されるものであるから、従つて、後記の如く慰藉料の額の算定にあたり、これをしんしやくするのは格別として、いわゆる損益相殺により、損害額から控除すべきものではないと解するのが相当である。故にこの点に関する被告の主張は採用できない。

また、損害額に関する被告の過失相殺の主張については、すでに判示したように、本件事故につき、前記仁三郎の過失が認められない以上、その失当たることは明らかである。

(二)  原告等の慰藉料の請求について

1  原告前山みちは、夫仁三郎の死亡により、遺児をかかえて寡婦の生活を送らねばならなくなつた。その収入としては、前記農業所得年間金七三、七三〇円程度および遺族扶助料年額九二、六〇〇円である。そして証人中村喜代松および原告前山みちの尋問の結果によれば、遺児のうち、原告松景経子(次女)は他家に嫁し、原告前山博昭(長男)は大学を卒業して就職しているが未婚であり、原告前山久子(三女)も未婚で父の死後勤めをやめて家事に従事し、原告前山正治(次男)は父死亡当時高校在学中であつたが父の死により上級学校への進学を断念して就職し、原告前山芳子は未だ中学校在学中であるが上級学校への進学を断念せざるをえない状況にあることが認められ、他方、成立に争いのない甲第二六号証(証明書)、甲第一八号証(判決書)、証人中村喜代松、被告本人尋問の結果によると、被告は、母、妹、祖母の四人家族で、田約六反、畑約三反を所有して農業に従事しているものであること、本件事故発生後、被告は、前記仁三郎を病院に見舞い同人死後、香典として金一、〇〇〇円を遺族におくり、また前記仁三郎の入院費用として金八七、六〇〇円を支払つたこと、そして、本件事故に関し被告は当庁において業務上過失致死傷罪により禁錮六月に処せられ、現在服役中であることが認められる。以上の認定に反する証拠はない。

ところで、本件事故はいわゆる酩酊運転によるものであつて、被害者にはなんらの過失も認められない。かかる不慮の事故によつて夫ないし父を失つた原告等の精神的苦痛は、推察するに難くない。そこで前掲各般の事情を勘案し、原告等の精神上の損害に対する慰藉料の額を算定すると、原告前山みちについては金一〇〇、〇〇〇円、その余の原告等については各金五〇、〇〇〇円の慰藉料が相当である。原告等の慰藉料の請求は、右の限度において、理由がある。

四  右の次第で、結局被告は、原告前山みちに対して金六八五、二〇〇円その余の原告等に対して金二八四、一〇〇円ならびに右各金員に対する前記仁三郎の死亡の日の翌日である昭和三五年一月一二日から支払いずみにいたるまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

よつて、原告等の請求は、右の限度において正当としてこれを認容し、その余の原告等の請求は、失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条、第九三条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 新関雅夫)

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